山下町にある李世福のアトリエに集う仲間達が出演する『アトリエ・フレンドシップLIVE』が3回目を迎えたこの日、フリーカメラマン渡邉俊夫氏に足を運んでいただくことが叶いました。渡邉氏は、李世福の古くからの友人であり曲を提供したこともある故・松田優作氏を撮り続けたカメラマンとして有名であり、今でも優作氏の書籍には多くの写真を提供されている方です。
この日撮影していただいた大量の写真の中から、一部をセレクトしてこちらに掲載いたします。
以前より渡邉氏と親交のあったKENT前田より、今回の撮影の経緯を紹介した文章が届きましたので、ぜひ一緒にお読みください。
2008年11月。僕は松田優作さんの主にミュージシャンとしての側面に焦点を当てた写真集「SLOW NUANCE」を書店で見つけ、購入。すでに松田優作さんのファンであった僕は迷わず手に取りワクワクしながらレジに向かったのを今でも忘れません。そしてその翌年1月に「20回忌特別企画 松田優作は生きている」という番組が放送されました。例の写真集の著者であり写真嫌いであった優作さんが心を許したカメラマンである渡邉俊夫さんのインタビューを中心に新たな証言や関係者の思い出を語るとても心暖まるドキュメンタリー番組です。僕はその録画したDVDを何度も繰り返し視聴したものでした。
僕は良くも悪くも欲張りなのかもしれません。自分が気に入ったDVD、CD、書籍、映画や本に出会うとただ感動してそれで終わる事ができません。できる限りの範囲内ではありますが、そのアーティストに直に触れ、体感したいと思い、ライブやイベントに行ってご本人達に会って直に体験したくなる。経験という財産にしたがるのです。
自分の人生に良い影響を与えてくれるくらいにのめり込む性分のようです。
1997年中学一年生だった僕はビートルズのファンになり、彼らを入り口に色んな音楽を楽しむうちに2007年に知人からゴールデン・カップスの映画のDVDを薦められ、感激した僕はカップス・メンバーはもちろんあの映画に出演している人達に可能な限り会いに行った。
そのうちのお一人が李世福さんで李さんが松田優作さんと「灰色の街」を共作されていることから優作さんにもハマったのです。ちょうどそれが2008年でした。
それからしばらく年月が経ち、渡邉俊夫さんの公式サイトが開設された事を知り、メールで番組や写真集に感動した事をお伝えしたのが最初でした。
2015年11月6日に李さんはご自身のミュージック・スペース、「李世福のアトリエ」にて松田優作さんメモリアル・イベントをやる事を決心され、その事を僕に教えてくださいました。僕は「いいですね。でもイベント・タイトルが優作さんに関連するならいつもの李さんのアコギ・ライブだけでなく優作さんの思い出を楽しく語るコーナーがあるといつもと違ってお客様も喜ばれると思いますよ。僕に第一部と第二部の間にインタビューやらせてください。僕に企画をやらせてください!」と言ってしまった。言葉の順序や言い方を間違えれば、生意気だと思われ、誤解されかねないかもしれませんが、李さんはニッコリ笑い「分かった、いいよ、KENT に任せるよ」と企画をさせてくださったのです。
そしてこのイベントには何をあろうか渡邉俊夫さんがもし来てくださったらと思い立ち、お誘いのメールを出してみました。業界の方でプロの方をお誘いするのはこれまた言葉使いを間違えると誤解されかねない。慎重に一語一句気を払いメールを作成して送信したところ、「遅くなるかもしれないが、行けたら行きます」との事。しかし当日、開場時間になるとすぐにお越しくださったのです。
イベントも無事進行して終了。深夜過ぎまで交流させてくださいました。僕にとっても一生の思い出です。
翌年4月17日横浜・関内7thアベニューにて「李世福アトリエ・フレンドシップ」と題してアトリエに出演しているミュージシャンが一同に会して出演するイベントに僕はリハから打ち上げ、出演、司会までやらせてもらうことになり、これは自分にとっても貴重な機会になると思い、いい形で記録したいと思いました。それで考えたのが渡邉俊夫さんにイベントの一部始終を撮影してもらおうという事でした。日程からイベント内容と何から何までメールで連絡取り合い決定!当日を迎える事ができました。
こちらにご紹介するのは松田優作さんを撮り続けた渡邉俊夫さんが、我々のイベントの様子を撮影してくださった写真の数々です。
渡邉俊夫さんがご出演してる番組に感動して6年後に李さんのアトリエでご著書にサインを頂き、7年後にはライブ・イベントの様子を撮影してくださった。
僕にとってはお金に変えられない財産になった事は言うまでもありません。
「縁とタイミング」
この縁を作ってくださった李世福さん
依頼を快く引き受けてくださった渡邉俊夫さん
そしてお会いしたことはありませんが、
松田優作さんに感謝です。
KENT こと 前田健人
李世福さんのギターを持ったイメージといえばフライングVがとても印象深いですが、何とこんなレアな写真も発掘されました。
レスポールを持った写真。
数年前にシーナ&ロケッツと共演した際の写真。
最近ではなかなか見られない共演です。
そして本日の最後は新宿ゴールデン街にお店を構えるオサムさんという方のOILというお店での松田優作さんの命日の追悼ライブでの写真。
ここのお店のマスターは大の松田優作さんのファン。店内は優作さん一色。優作さんファンにはぜひオススメのお店です。
李世福さんのレア写真特集でした。今後もまだまだ続きます。
今日は李世福さんの知られざるある日常の一部を紹介したいと思います
- KENT
- 李さんは毎朝、太極拳のようなトレーニングを行っていますが、これはいつから始められたのですか?
- 李さん
- 約28年前かな。今のうちから体を鍛えておこうと当時思ったんだ。また小学生くらいの頃、少林寺を少し習っていたことがあってね。ライブステージもワンマンで二時間半近く行うわけだから若い頃から体力を意識してトレーニングしている。ただこれは格闘技を意識してやってるわけではなくあくまでアートの世界であり自身の体のトレーニングなんだ。誤解されては困るからね。喧嘩はしないし、殴られたら痛いし、殴ったら心は痛いし。
- KENT
- 李さんのステージは独特の世界観があるように思えます。ただロックバンドとして演奏しているだけでなく身体中で表現しているように思えます。
- 李さん
- 意識して動かしているのではなく曲に体が反応して自然と動き表現しているんだ。具体的に言うとアヘンの歌なんかでは詞の世界を歌いながら演奏し体で表現するとステージであのような動きまたは表現になる。剣士がトラや妖怪を剣で切っても切ってもまだ出てくるのを表現したり。夢の旅という曲では中国の旅だけでなく自分が様々な場所へ旅した事を表現しているんだ。旅で船に乗ったり店で何かを食べたり。そのお店の人と出会ったり。ステージではそれも表現している。また月光という曲なんかでは女性の気持ちで歌っている。女性が男性に向かって泣かないでと歌っている。女性が歌うと上手くマッチするんだけど、それも自身の体と歌で表現している。
- KENTが質問しようとしたが、さらに李さんは伝え続けた。
- 李さん
- 年齢が行くと何かしら落ちるものなんだけど、皆さんも無理せずに何かふとしたきっかけでスイッチが入ると体を鍛えたりするきっかけができますよ。食事の栄養バランスなども大事だけど何よりも強い気持ちを持つことが大事なんですよ。毎日生活していると嫌なこともあって調子悪いこともあるけどその時こそ強い気持ちでいれば、負けることはないと思う。みなさんも気持ちを強く持っていればやれないこともやれますから!
李さんの毎朝のトレーニングに関する質問から強く生きる秘訣を伺ったインタビューになりました。
次回も李世福さんインタビューシリーズをお楽しみに。
2013年8月9日
李世福さんはダブルヘッターで横浜のサムズバーと7thアベニューというお店でそれぞれ演奏されました。
特に7thアベニューでは吉野大作さんと久々に再会できて70年代の懐かしい音楽、バンド事情を語り合ったのだとか。
そして李さんは最近始動した新たなバンドについてKENTに語ってくれた。
コネクション、世福龍、トシカンメイグー、自分にとっては大事なメンバー達だ。
特にトシカンメイグーは人の悪口は言わない。利にかなったメンバーです。回りの平和を意識しようと常に考えている。いつもそのメンバーに会うとき回りの平和を作っていきましょうと話しています。
そして昨日はやはり吉野大作さんと会って大学祭を思い出した。神大、横浜国大、横浜市大、関東学院大学に呼ばれたことをなつかしく思い出した。
当時の大学生は今より大人っぽかったが、悪く言えば今から見ると老けていたように感じる。当時の映画を見ても年取って見え今の大学生は若すぎるね。
そして今日、共演したトラメの印象。
もう30年以上やっているからトラメサウンドができている。ミュージックがライフワークで中毒なんだろうね。
トラメといえば11月に松田優作さんの追悼イベントをやる予定。この日は能城さんにも灰色の街を決めてもらいたい。昨日のトラメ、吉野大作さんとの再会で夢を語りけんかではなく平和で物事を進めていきたい。』
と李さんは語ってくれた。
李世福さんはいつでも向いてる先は前だけであるとKENTは感じた。
李世福さんのインタビューや回想録など今後も不定期に掲載して貴重な記録として残していければと考えています。
2013年8月21日。横浜は関内の7thアベニューというライブハウスで李世福さんがトシカンメイグーというバンド名でライブを行います。それに向けての想いを語ってもらいました。
- KENT
- 8月21日はトシカンメイグーのライブでしたよね?
- 李さん
- そうだよ。昨日四人での食事会があったんだ。トシコさん、メイグーさん、かんちゃんと四人で力を合わせてやっていこうと話した。また俺の理想になるんだけど、回りの人達との平和を大事にしたいと考えている。それからKENTね。国と国との争いは何もできないけどね、少なくとも回りの平和から作っていけるよ。そうしないと他の国で大変な思いをしている人がいるんだからそうしないと申し訳ないよ。だからKENTも回りの人と仲良く下らない喧嘩はしちゃだめだよ
- KENT
- はい(^o^;)
- 李さん
- 21日はキャズとアジトも出る。また俺はどのメンバーとやってもやる曲はオリジナルだけど、それぞれのメンバーの味が出ています。ぜひトシコさん、メイグーさん、かんちゃんを紹介したいです。みなさんぜひ来てください。
- KENT
- ライブ楽しみにしています。こうやって李さんから直接色んな事が聞けて楽しいです。こうやってブログなどで発信するこの機会に今、ちょっと思い付いた事があって。李さんから見たエディ藩さんやルイズルイス加部さん、中村裕介さん達など李さんと同じく伝説的なプレイヤーが横浜に多くいますが、李さんから見てどのような印象を抱かれていますか?
- 李さん
- エディさんはブルースシンガー、ギタリストで本当にテクニシャンだよね。多くの人は早く弾けばテクニシャンというけど、エディさんはエディさん節。CDをかけるだけですぐにエディさんだと分かるね。加部さんに関しては10代の頃からかっこいいギターを弾く天才少年だったよね。カップスでベースを弾いたのでベースのイメージが強いけど俺にとってはギタリストなんだ。中村裕介さんはね、リズム&ブルース・シンガーでボーカルがメインでギターを弾くイメージだったけど、実はブルースやハードロックをバリバリに弾くすごい上手いギタリストなんだよね。
- KENT
- 今、ちょっと思い付いた人達の李さんから見た伝説のプレイヤーの印象を聞いて何だかとってもワクワクします。これからも思い付いたら色んな人の事、歴史など教えてください。
- 李さん
- いつでもいいよ。